須成太鼓の紹介
(昭和59年) 1984.6.30
須成祭曲打太鼓について
須成祭曲打太鼓は、熱田神宮の神楽太鼓系統のものと云われているがそのいわれは定かではない。
天文17年(16世紀)織田信長公が須成神社(八剱社と冨吉建速神社)を再造営された折、「年々[※1]六月之祭事退転無之様可致」と仰せられ、又文禄年中に疫病が流行した折には、太閤秀吉公が須成神社に米賎を献じて除疫を御祈願されたが、その折にも、「[※1]夏六之祭礼末代迄退転不可致」と仰せ付けられたという記録が、須成神社の祠官の[※2]家に文書で伝えられている。
[※1]「六月之祭事」、「夏六之祭礼」とは、須成祭が旧6月17日、18日に行われていたので、このように云われたものと思われる。
[※2]同家は足利時代より須成に定住され、熱田神宮の大宮司家より二度迄も嫁を迎えた家柄で、寛永の頃迄は代々三郎太夫を名乗り、駿河守、下総守、伊豆守、河内守等を称した寺西藤原家で37代続いている旧家、総理大臣加藤高明氏の母方の家族で、その墓所は須成字川西上に現存する。